姫路市的形町の礒地区は海が近く古い物や遺跡があり、またパラグライダー基地より播磨灘が一望できるので、的形小3年生に礒地区の歴史探訪と海の景色を教えています。


貧乏岩

岩にぽつぽつと穴が開いています、これは海中にあったためこのようになっています。昔、的形全域が入江で海面がもっと高く、出入りする船がここを通り、この海底に突き出た岩で船を壊し貧乏したといういい伝えがあります。


相撲取りのお墓

小西川墓、鐡壁墓、伊勢之海の相撲取りの墓です。相撲だけでは生活が出来ないので、有力者が旅したとき、今と違い昔は安全でないのでボデーガードをしていました。今の大相撲の相撲取と違い、スポーツがない時代の地域の相撲取です。


奥村ボート

奥村ボートはボート・ヨットを造っていますが、昔からの日本のお船、和船も造っています。平成25年3月に姫路城の掘で和船の運航が始まりました。あの和船は、この奥村ボートで造船したお船です。和船を造っている工場内を見学しました。


中村家の酒造

崩れかかった蔵、これは酒蔵です。明治時代にここで酒屋を始めようとして蔵を建てたが、お水が酒に向かないので一滴の酒も造らずに止めました。今でもこの蔵を酒蔵と呼んでいます。


空頼坊の墓

江戸時代の偉いお坊さんのお墓です。世の中が不景気な時でも創意工夫して世の中をよくしたお坊さんです。1634年(寛永11年)7月22日没と海嶽寺の過去帳に残っています。建物の中に1.8mの五輪塔がありますので見て下さい。


海嶽寺の井戸

昔の海嶽寺は大きなお寺で、この山全体がお寺でした。炊事、洗濯、お風呂に使う水がこの井戸でした。山の中腹にありますが水が枯れない井戸です。昔、火事になって燃えてしまい、今はこの井戸の西側に建て替えられました。


海嶽寺の山門

階段の上に北向きの門があり、山門と言います。山門の上に鐘があり、この山門を鐘楼門といいます。この鐘は塩田に働く人に時を知らせる時鐘で、1962年(昭和37年)頃までは8時・10時・12時・2時・4時の5回たたいていました。


礒山頂上

頂上から見る景色は、昔、塩田であった跡地にソーラーパネルが並び、正面に日笠山、石の宝殿山、遠くに六甲山系が見えます。ここで少し休憩しました。帳面を広げて感想を書いている様子です。この礒山に6年生が卒業登山をして記念植樹とタイムカプセル埋める予定です。


おんばがふところ

これは古い、古い梅山古墳という時代のお墓です。武烈帝・古墳時代のお墓で被葬者は明らかでないですが、有力者のお墓と思います。今は天井の石が崩れ落ちていますが古いお墓です。今は中に何も残っていません。


パラグライダー基地

瀬戸内海ですが播磨灘と呼ばれる場所です。正面に小さい島が見えます。上島と言い家島諸島の一番東の島です。上島の向かって右に島が幾つか見えます。向かって左の島を鞍掛島、岩肌が見える島は男鹿島、その右側が家島本島です。


行基が鼻

海に向かって礒山が突き出ており東は的形川で川の向こうが海水浴場です。西側は東ばば(マリンベルト)と言って昔は砂場で海水浴や貝拾いが出来ました。この突き出たここから行基菩薩が上陸した地点との伝説があります。


住吉神社は大阪市住吉区住吉に総本社があります。この神社の右側に金毘羅さんの神社があり、香川県の琴平町に本社がある神社です。住吉神社も金毘羅さんも海の神様で、海の安全を願ってお参りする神社です。


田ん中の井戸

水道が無い時代、この井戸は海に近い井戸ですが海水でなく美味しい良い水が出ていたので仮屋の人や駅前の人がここまで水を汲みに来ていました。


荒勝文策の家の跡地

的形出身の理学博士の荒勝文策先生が住まれた家があったところです。お家が貧しい中、勉学の志を持ち続けられ苦労努力の末、京都大学理学科に進まれました。先生は物理学において大きな業績を成し遂げられました。ノーベル賞の湯川秀樹教授と並ぶ日本を代表する物理学者として、日本の原子核物理学の黎明期に活躍した人物です。


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